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法事の為に沖縄に帰省。僕は小さな頃から沖縄に関心がなく『沖縄が田舎だなんて良いね』と言われても『良い?』という感覚でしか話ができなかったし、大好きなおばあちゃんが住んでいる場所。という単純な感覚でしかなく思い入れもなく。なんとなく小さな頃から移動を繰り返していると自分の感じる『故郷』というものが人の言う『故郷』とは別のものに思えて、人の言う『地元』という言葉が羨ましくもあり今でも『地元』という言葉を自然と自分の口からは言えない。しかしここ数年『ルーツ』について度々考える瞬間があり、どんな場所なのかどんな歴史があったのか基本的な事位は知っておきたいと考えるようになる。沖縄は非常にしきたりが多くその為に妹も沖縄に住んでいる。全ての親戚づきあいを担ってくれている。今回はその手伝いもあり、旅行ではお決まりの『なになにのどこどこへいった』という事もなくひたすら家の中で朝から晩まで手伝う事に。
主に3日間、初日を【ウンケー】中日を【ナカヌヒ】最後の日を【ウークイ】で行う。【ウンケー】は祖先を家に迎える日、【ウークイ】で『また来年ね』と見送る形となる。
朝7時に起きてお供え物を作る。いわば朝食。その後に昼のお供え物。夜のお供え物。なんと15時のおやつもある。その度に食材を近くのスーパーマーケットへ買出しに出かけ家にすぐ戻り食事を作る。と、いう事を繰り返しているとあっという間に日が暮れる。ベランダから見える青く広がる空、雲、街、海を見て何度も想い馳せながらひたすらシャッターを切る。その間に合間を見ながら各親戚の家々へとまわり線香をあげ、手を合わせる。そしてその逆もあり親戚が沢山訪れる。人と人とのつながりが非常に濃いと感じる瞬間。僕はどちらかというと沖縄顔ではない上に面識が薄いので色々と話をする事になるのだけど、なんとなくその度に輪をかけて緊張。沖縄タイムなんてとんでもない、と言わんばかりにあっという間に3日目となり、最後は【紙銭】という紙を親戚全ての名前を唱えながら燃やしていく。天国への通貨、というと解りやすい。『終わった…』とほっと一息ついていると外では地元の青年団による【エイサー】が始まっていた。なんだかんだで初。太鼓をたたきながら街を練り歩くその姿は圧巻でした。
行った時期が丁度甲子園真っ只中。興南高校が優勝春夏連覇がかかっていたという事もあり沖縄はワールッドカップのような盛り上がりを見せ、お昼にすば(そば)を食べに行けば沢山の人がすばそっちの気でビールを飲みながら応援し、スーパーへいけばBGMが野球中継。選手がホームインする度に買い物に来ている人のみならず店員も手を叩き店のいたる所から悲鳴が聞こえ、優勝の日は近くの興南高校から怒号のような歓声。エイサー中も大きな幕が張られ皆嬉しそうに踊っていました。
最後の日は親戚のユタさんと一緒にお寺へ行き、拝みをしていただいた。ユタさんというのは霊媒師さんの事で、今回自分の出生に関わる事でお話を聞いておきたいと思っていた事もあり、お線香をあげに行った際に思い切って聞いてみると『最後の日に一緒にお寺へ行って拝みをしましょう』という運びに。
結果『血は争えない』という言葉が頭をよぎる形となり、僕には関係のない事だと目を背けていた事が実は自分にとってとても重要な事だったのだと伝えられる。僕は沖縄の人間だったのだ、とその時初めて実感する事となる。知らなくてはいけない事、その為に訪れなくては行けない場所、会わなくてはいけない人。しばらく沖縄には通う事になりそうです。
『そうだった、写真とは自分にとって正直になる事だった。』